【第1章】ホンダ・プレリュード初代|すべては、この一台から始まった【1978–1982】

1978年11月、ホンダは新しい2ドアクーペに「プレリュード」という名を与えました。
速さだけを追いかけたスポーツカーでもなく、実用性だけを優先した乗用車でもない。端正なスタイル、心地よい室内、爽やかな走り、そして電動式サンルーフ。初代プレリュードは、クルマと過ごす時間そのものを豊かにしようとした、ホンダの新しい提案でした。
のちに低く、鋭く、洗練された姿へ進化していくプレリュード。その長い物語は、まだ穏やかな表情を持っていた、この初代から始まりました。
今回は、初代プレリュードの後期型に設定されたXXRを中心に、その外観、室内、時代を先取りした装備、そして1978年から1982年の日本とアメリカの空気をたどります。
第1章 プレリュードという物語の始まり

「プレリュード」は、前奏曲や序章を意味する言葉です。
その名のとおり、初代モデルは、のちに6世代へと受け継がれていくプレリュードの思想を最初に形にしたクルマでした。
大きなエンジンや派手な装飾で威圧するのではなく、低く伸びやかなクーペスタイル、明るい室内、使いやすい装備によって、日常を少し特別なものへ変えていく。ホンダはプレリュードを、個性的でありながら品格を備えたパーソナルカーとして開発しました。
初代の姿は、後年のプレリュードほど低く鋭くはありません。それでも、ただの小型セダンから屋根を低くしただけではない、独自のプロポーションと落ち着いた存在感を備えていました。
第2章 端正な3ボックスクーペ

初代プレリュードの基本形は、ボンネット、キャビン、トランクを明確に分けた端正な3ボックススタイルです。
サイドビューを見ると、長く見えるボンネット、細いピラー、大きなガラスエリア、なだらかに落ちるルーフラインが、無理なく一つにつながっています。
当時の日本車には、直線的で実直なデザインが多く見られました。初代プレリュードも直線を基調としていますが、窓まわりやフェンダーには柔らかな丸みが与えられ、硬さだけでは終わらない上品さを感じさせます。
大きなガラス面は、外から見た軽快感だけでなく、室内の明るさや見晴らしの良さにもつながりました。ホンダは外観の美しさと、実際に乗ったときの心地よさを同時に成立させようとしていたのです。
初代ホンダ・プレリュード 簡単な主要諸元
※1978年11月発表時の国内仕様。グレードや変速機によって重量・装備などが異なります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 車名 | ホンダ・プレリュード |
| 発表 | 1978年11月 |
| 初代モデル終了 | 1982年10月 |
| ボディ | 2ドア・4人乗りクーペ |
| 駆動方式 | 前輪駆動(FF) |
| 全長 | 4,090mm |
| 全幅 | 1,635mm |
| 全高 | 1,290mm |
| ホイールベース | 2,320mm |
| 車両重量 | 890〜915kg |
| エンジン | EK型 1,750cc CVCC 水冷直列4気筒OHC |
| 最高出力 | 5速MT:90PS/5,300rpm |
| 最大トルク | 13.5kg・m/3,000rpm |
| 変速機 | 5速MT/ホンダマチック |
| 乗車定員 | 4名 |
1978年発表時のプレリュードは、1,750ccのCVCCエンジンを横置き搭載。軽量な車体と前輪駆動を組み合わせ、日常で扱いやすく、静かで滑らかな走りを目指していました。
第3章 水平線で整えられた、静かな顔

初代プレリュードのフロントは、低さを誇張した攻撃的な顔ではありません。
左右の角形ヘッドライトと細い横長グリルを、ほぼ一直線上に並べることで、落ち着きと幅広さを表現しています。グリル中央にはホンダの「H」マーク、右側にはXXRのエンブレム。装飾を増やさず、必要なものを整然と配置した顔です。
前方へ張り出した大型ブラックバンパーも、この時代らしい特徴です。現在のクルマのようにバンパーを車体と一体化させるのではなく、独立した部品として明確に見せています。
ボンネット上の左右には、日本仕様らしいフェンダーミラーが立ちます。細いステーの先に置かれたミラーは、機能部品でありながら、初代プレリュードの個性を決定づける造形の一部にもなっていました。
派手さはありません。それでも正面から眺めるほど、各部の高さと間隔が慎重に整えられていることが分かります。
第4章 後ろ姿に宿った、初代の品格

リアビューでは、初代プレリュードの端正さがいっそう分かりやすく現れます。
左右の端に独立して配置された縦長のテールランプ、広く平らなトランクリッド、ナンバープレート両側の縦型メッキパーツ。そして車体を横切る太いブラックバンパー。要素は多くありませんが、一つひとつがはっきりと役割を持っています。
Cピラーに設けられた縦スリットも、初代を見分ける特徴の一つです。大きなリアウインドウと小さなサイドウインドウの間に置かれ、クーペらしい閉じた印象を和らげながら、横顔にアクセントを与えています。
撮影車のXXRには、「HONDA PRELUDE」の文字が刻まれた純正アルミホイールが装着されています。ボディと同じ銀色でまとめられた足元は、スポーツ性を強く主張するというより、クルマ全体の品格を静かに高める装備でした。
前から見ても後ろから見ても、初代プレリュードには過剰な演出がありません。だからこそ、長く眺めるほど、その整った造形が効いてきます。
第5章 実直で、心地よい室内だった

初代プレリュードの室内は、外観と同じく、機能を整然と並べた実直なデザインです。
横に広いダッシュボードの右側にメーターを集め、その中央付近から下へ向かってオーディオ、空調、各種スイッチ、シフトレバーが並びます。運転席から必要な情報や操作部へ自然に手が届くよう、機能ごとの位置が整理されていました。
初期モデルで採用された「集中ターゲットメーター」は、大型スピードメーターとタコメーターを同軸上に配置した独創的な計器でした。燃料計、水温計、警告表示、整備時期を知らせるメンテナンスインジケーターも、運転者の正面に集められています。
チェック柄のファブリックシートは、当時らしい温かさを感じさせます。フロントシートは肩まわりに余裕を持たせ、腰を支える形状とすることで、くつろぎとホールド性の両立が図られていました。後席は広大とはいえませんが、プレリュードは最初から4人乗りのクーペとして設計されています。
華美な高級車の室内ではありません。それでも、手に触れる装備やシートの柄、室内全体の統一感から、「少し上質なクーペに乗っている」という満足を感じられる空間でした。
国産車初の電動式サンルーフ
初代プレリュードを語るうえで外せないのが、電動式サンルーフです。
1978年の登場時、プレリュードは国産車で初めて電動式サンルーフを標準装備しました。ただしEタイプを除きます。 スイッチ一つで開閉でき、風の巻き込みや風切り音を抑えるディフレクターも備えていました。
サンルーフは単なる豪華装備ではありません。自然の光や空気を室内へ取り込み、ドライブそのものを楽しむという、プレリュードの性格を象徴する装備でした。
第6章 休日を、少しだけ大人にしていた

まだ「デートカー」という言葉が、プレリュードの代名詞になる前でした。
夕暮れの海、少し背伸びをして訪れた海辺のホテル、静かに停めた銀色のクーペ。初代プレリュードが届けたのは、派手な速さではなく、いつもの休日を少しだけ特別に変える時間だったのかもしれません。
大きなサンルーフから空を感じ、広いガラス越しに景色を眺める。好きな音楽を流しながら、目的地までの道そのものを楽しむ。
のちのプレリュードは、より低く、より鋭く、デートカーとして大きな人気を得ていきます。しかし、その原点にあったのは、初代が静かに提案した「クルマと過ごす豊かな時間」でした。
第7章 1978–1982年、日本の空気

初代プレリュードが走り始めたころ、日本では音楽とテレビが、若者の憧れや流行を大きく動かしていました。
1978年1月には、TBSの音楽番組『ザ・ベストテン』が放送を開始。黒柳徹子と久米宏の司会、巨大なランキングボード、生放送ならではの出来事が、毎週木曜日の夜を特別な時間に変えました。番組は約12年間続く人気番組となりました。
1979年には、久保田早紀のデビュー曲『異邦人』が登場。異国を思わせる旋律と透明感のある歌声は、1979年末から1980年にかけて広く支持されました。
ピアノの前で歌う久保田早紀の姿、ランキングが一枚ずつ開かれていく『ザ・ベストテン』の舞台、そして街へ増えていった新しい飲食店。テレビやレコードを通して、遠い国や新しい暮らしへの憧れが広がっていた時代でした。
1980年には、アメリカ発祥のハンバーガーチェーン、ウェンディーズが日本へ進出。銀座に店舗を構え、ボリュームのあるバーガーは、これまでとは少し違うアメリカの食文化を感じさせました。
初代プレリュードの端正なクーペスタイルと電動式サンルーフもまた、そんな新しい生活への憧れと重なって見えたのです。
第8章 1978–1982年、アメリカの空気

同じころのアメリカでは、自由で明るい若者文化が、音楽、ファッション、食べ物、テレビを通して世界へ広がっていました。
Tシャツにデニム、履き慣らしたスニーカー。気取らず自然体でありながら、自分の好きな音楽や映画をはっきりと表現するスタイルは、当時のティーンエイジャーを象徴する装いでした。
ファーストフードでは、アービーズの「ビーフ・ン・チェダー」が人気を集めました。薄切りのローストビーフに温かなチェダーチーズソースを合わせた、濃厚でボリュームのあるサンドイッチです。
1980年には、色のそろわない立方体を回転させて完成を目指すルービックキューブが、世界的なブームになりました。単純に見えて奥が深く、大人も子どもも夢中になる時代を代表するパズルとなりました。
テレビでは、1977年から1983年にかけて『白バイ野郎ジョン&パンチ』が放送されました。カリフォルニアの明るい空、ハイウェイ、白い大型バイク。陽気な2人の警察官が活躍する物語は、日本でも親しまれ、当時のアメリカのモーターカルチャーを鮮やかに伝えました。
日本で生まれた初代プレリュードも、こうした自由で軽快な海外の空気とよく似合うクーペでした。
最終章 すべては、この一台から始まった

初代プレリュードは、後年のモデルほど低くも、鋭くもありませんでした。
けれど、この一台には、すでにプレリュードをプレリュードたらしめる思想がありました。
端正な2ドアクーペの造形。運転者を中心に考えられた室内。日常の中で無理なく楽しめる走り。そして、空を開く電動式サンルーフ。
それは、速さの数字だけでは測れない、クルマと過ごす時間の豊かさでした。
初代が奏でた静かな前奏曲は、次の世代でさらに低く、より洗練された姿へと受け継がれていきます。やがてプレリュードは、時代を代表するスペシャルティクーペとなり、多くの人の記憶に残る存在になりました。
しかし、その物語の原点は変わりません。
すべては、この一台から始まった。
プレリュードの物語、第1章はここで終わります。
次は、1982年に登場した2代目プレリュードへ続きます。
画像について
本記事の画像は、当時の車両や時代背景を参考に制作した創作イラストです。車両の形状や装備、人物、店舗、番組セットなどは、実物と一部異なる場合があります。
車両の年式やグレードによって、外観、内装、装備、主要諸元には違いがあります。画像は初代プレリュードXXRの魅力と、1978年から1982年ごろの空気を伝えることを目的としています。

